小学生ドライバーとタクシードライバー
小学生がタクシーを運転しているのを見たらあなたはどう思いますか?
僕は信じられず唖然として口が塞がらないでしょう笑
もし路上でそんな場面に遭遇したら、大事故を起こしてしまうんじゃないか、
とかなりのリスクを感じると思います。
皆さんも僕と同様に、同じような危機感やリスクを感じると思います。
では、今度はいい感じのおじさんが運転している黒塗りのタクシーが路上を走っていたらどうでしょうか?
恐らく、リスクを感じるどころか目にも留まらないと思います。
つまり、同じ車を運転していても誰が運転しているかによって感じるリスクは違うということです。
そして、実際に運転している当人達も同様だと思います。
小学生では極端なので、車の免許を取るために、教習で初めて路上運転をする時のことを考えてみて下さい。
今まで車というのは運転してもらって、自分は乗っているだけだったのに、
今度はその車を自分で操縦するのです。
しかも、交通量が多く、自転車も車道を通り、標識は不規則で路上駐車をしている車がたくさんあって、
対向車とすれすれを通り過ぎなくてはいけない、という道路を初めて運転するのです。
どうですか?見てるこっちもヒヤヒヤですが、
恐らく運転している当人が一番手に汗握ってますよね笑
ではそれが、ドライバー歴20年無事故無違反のベテランタクシードライバーでしたらどうでしょうか?
タクシードライバーは、その道を毎日何回も通っているため路駐している車のナンバーを覚えているぐらいその道の運転には慣れています。
どちらの車に乗りたいか、と聞かれるまでもなくタクシードライバーですよね笑
なぜなら、明らかにタクシードライバーの方が安全だと思えるからです。
それはなぜですか?
今まで何百回とその道を通ったことも有るし、そもそも運転自体を職業としていることからも、
初めて公道を走る教習生とでは比べようもありませんよね。
リスクは人による
つまり、「リスクは人による」ということです。
運転をするという同じ行為でも、その行為をする人間が違えば当然リスクというのも違ってくるということです。
リスクというのは人によるんです。
僕は何が言いたいかというと、今回は車の運転に例えましたが、世の中全てに言えることだと思います。
例えば、5才児の子供たちがたくさんいる部屋のテーブルに本物の拳銃が置かれていたらどうでしょうか?
5歳なんて好奇心旺盛だし、男の子なんて引き金を引きたくて仕方ないに違いありません。
想像しただけで怖くていてもたってもいられないですよね。
では、それが士官学校の教室だったらどうでしょうか、
例えおもちゃだと勘違いしても学校の教室においてある拳銃を人に向けて発砲するということは考えにくいですし、
本物かどうか確認する知識もあります。
そもそも、触ること自体しないかもしれませんよね。
士官学校の詳しいことはわかりませんが、とにかく5才児と士官学生では、
同じ状況でもリスクは全く違うということです。
これらの事例はいくらでも挙げる事ができます。
そもそもリスクなんてものはない
ここまでリスクというのは人による、という話をしてきました。
タクシードライバーにとって運転はリスクではありませんし、士官学生にとっても拳銃が置いてあることはリスクではありません。
一般人にとって危険なことであっても、その分野に長けていれば危険ではなくなるということです。
もちろんタクシードライバーであっても事故を起こす可能性はあります。
生きている以上何をしてもいても常にリスクというのは存在します。
呼吸をしていても酸素によって日々体は参加していますし、ウイルスを吸い込んで風邪を引くかもしれません。
しかし、それらリスクというのは、知識、技術、余裕、経験、などあらゆることでコントロールすることができます。
そう考えると、自分にとってリスクだと思っていることは、
他人にとってはなんでもないことだったりということが、普通にあるということです。
母親にとってなんでもない包丁で食材を切るという作業を娘が初めてやるとなると、母親はヒヤヒヤすることでしょう。
このような例は挙げ始めるときりがありません。
もしあなたが何かにリスクを感じたのなら、知識か技術か余裕か何かはわかりませんが、
何かしらが足りないことになります。
もちろん誰にとってもリスクを感じることはあります。
例えば、
ドライバーは運転にリスクは感じませんが、全く料理をしたことがないので包丁を持つことにリスクを感じるかもしれません。
逆に、毎日料理をしている母親は包丁にリスクを感じませんが、車を全く運転しないペーパードライバーなため運転することにリスクを感じるかもしれません。
このドライバーと母親はそれぞれに能力が長けていて、それぞれに不足しているため、感じるリスクが違うということになります。
つまり、この世に絶対的リスクというのは無いんです。
リスクかどうかは自分の尺度
自分が感じるリスクと他人が感じるリスクというのは違うということはわかったと思います。
自分が他人のすることにとやかく言うのはやめたほうがいいということです。
しかし、それが命綱もマットも敷かずに10階から飛び降りるということをするのは、誰にとってもリスクが有ることです。
知識経験技術ではどうしようもないことである場合であったり、人に迷惑をかける行為であったりする場合は、
もちろん止めるべきであるし、本人であるならやるべきではありません。
でも、もしそれが自分には理解できないから、悪いイメージしかないから、親からやめたほうがいいと教えられたから、
という他人任せだったり、自分が知識不足なのにも関わらず、
人がやろうとしていることややっていることを批評するのは、非常にナンセンスです。
例えば、子供が急に「投資家になる!」と言い始めたらどうでしょう?
ほとんどの親はおそらく止めますよね。
投資は危ない、借金を背負う、ギャンブルと変わらない、そもそも投資家になんてなれない、といった声が聞こえてきそうです。
否定するのは自分が投資で痛い目にあったからか、投資について知識がないから、のどちらかになると思います。
そしてその大半が後者です。
知りもしないのにイメージで投資を否定します。
人に聞いたというのは知らないことと同じです。
聞いた話と実際に体験した話では得られる情報が圧倒的に違います。
例えばFXをやりたいといったときに、ほとんど人が借金を恐れます。
ですけど、FXというのは借金は絶対にしないんですよ。
借金をする人もいますが、それは情報不足の素人です。
借金をするかしないかは証券会社(FXブローカー)によって決まります。
まともな証券会社は投資家の口座がマイナスになった場合は、証券会社が補填してくれるんです。
これを知っていることで、借金を背負うリスクが無くなるわけです。
そして借金を恐れてFXをやらなかった人は、やればFXで稼ぐ素質があった人かもしれません。
つまり、その人はやらないことで機会損失を食らったわけです。
世間一般ではやらなければリスクを背負わないと考えているかもしれませんが、
投資の世界では、やれば得られた利益をやらなかったことで失ったと考えます。
言うならばやらないリスクです。
何を言いたいかというと、イメージで決めつける人は考えが浅すぎる。ということです。
そういう人は投資に限らず何事もうまくいかないと思っています。
リスクがどうこうを考える前に、本当に自分はそのことについて深い知識をもっているのだろうかと考えてみて下さい。
そして、誰かに否定されたり、止められた時は、相手にその深い知識があるのか、どういうつもりで言っているのかということを感情的にならずに考えてみて下さい。
感情的に話すのではなく、一歩引いて理性的に話しをできるようになることで、
お金持ちに一歩近づく事ができると思っています。
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